天命を持った小さな会社で行こう。

最近しばしば気になることがある。起業家として、経営者として、思うところを少し述べたい。

 

気になることのひとつは、いわゆる『小さな会社』の有り様だ。

 

ひと昔の半年間のニューヨーク滞在では、何件もの新興企業の誕生を目の当たりにしてきた。Webをめぐる巨大な資本の力をフルに活用し、それぞれの専門家を一気呵成にかき集めては新しい会社を立ち上げてしまう、そのエネルギーには、正直驚くべきものがあった。


  

対して我が国で従来行われてきた個人デザイン事務所の今までの徒弟制度は、それの対局にある起業システムと呼ぶことが出来るだろう。師について時間をかけてその技を磨き、一本立ちするときには師の技を引き継いでいく。その時には、師の顧客の何人かも引き継ぐことを許されることもあろう。技術は人から人へ正確に伝えられ、のれんが分けられてゆく…。もちろんこの封建的な制度のディスアドバンテージは見落とされてはならないが、それにしてもアメリカに右へならえでの起業法だけが、我々の全てではなかったと思う。

 

さて、「小さな会社」のことだ。起業当時の会社というと、とかく資金集めでは力の弱い中小企業の代名詞のように見られつづけられ、徒弟制度と同様に、その制度自体も、プラス思考で見直すべき時に来ているような気がする。

 

先の例のように、現在、資本というものは事業に将来性や相性があれば、わずかな時間で大量に集めることが出来るようになったのは過去のこと。当時の起業家はとかくその資本の大きさに目を奪われて、それに伴う責任を軽視しがちだ。巨大な資本は当然経営に高収益とその分配を要求し、ある意味で会社は資本家の意図するようにしか成長出来なくなる。そうやって周囲から資金を集め失敗した会社が沢山作られた。

 

起業家がもし天命を見出して進んでいけばそのような雑音の縛りから離れたとき、自律的な成長によって、伸びたい方向・伸びたい分野に発展してゆくことが出来るようになるはずだ。それを礎に日本の会社の持つ良い意味での和魂洋才を生かすべき時代がやってきているのではないだろうか。

 

もうひとつの気になることは、昔のベンチャーキャピタル業界のバブルに関することだ。結論を先に語るなら、私はこの世界の騒ぎをさめた目で眺めてきた。

 

私自身は会社員生活から一念発起して、今の会社を起こし、今年で26年の節目を迎えることが出来た。これは今にして思えば、実に幸運な出来事であったが、結局信じられるのは自ら確信した天命の信念だけなのだ、という結論をその経験から感じている。こんな考え方は、特に私がいるようなIT業界の最先端の世界では古臭いことなのかもしれないが、私自身はデザインが好きでこの事務所を開き、そしてそれだからこそ、現職を続けていられると思っている。

 

私は自らの身の丈と同じレヴェルの体力しか持ち合わせてないのだ。だから私はそれに見合ったサイズの規模の経営を続けてきた。長年の間、この考えは変わることはなかった。

 

そんな私から見ると、ついこの前まで天命を発見出来ずに上場を狙っている世界の一部の人々は、まるで砂上の楼閣を築いているように見えるときもある。私のように古くて地味な人間には理解しがたいものなのかもしれない。特に頭をひとつずつ下げて取引先を拡大してきた私にとっては、かつてのベンチャーキャピタルブームは得体の知れない違和感を感じてきた。それは当たりつつある。